高槻市に鎮座する野見神社のホームページです

 

永井神社

創建 寛政五年(1793年)八月

 永井神社は藩祖永井直清の霊神をお祀りして九代藩主直進が創建しました。高槻城内三の丸にあった野見神社境内の本殿東側に隣接しております。唐門の前に立つ鳥居には京都卜部家より「直清霊神」の号を受けたことが記されており当初は「直清神社」と称しました。嘉永元年(1848年)には直清入城二百年を記念して第十一代直輝が社殿を修復し新たにそり曲がった曲線状の破風の唐門と拝殿が造営されております。

幕末には「直清権現」と呼ばれ、当時の藩士は親しみをこめて「権現様」と参拝していました。明治二十一年旧藩士領民達がその遺徳を讃え東側に石碑を建てました。永井神社の屋根瓦には永井家の家紋が使われております。永井家の家紋は主に藩公用で使用した「一文字三ツ星」と一族の証である「永井鉄線」があります。三代将軍徳川家光より拝領した家紋で「永井鉄線」は高槻藩永井家のみに許されました。野見神社境内の手水社や本殿釣燈籠などにも永井鉄線の家紋があり歴代藩主の崇敬を集めていたことがわかります。

現在例祭は四月二十四日で旧藩士や市民の参加によって執り行われています。社殿並びに唐門はその構成や技法に藩政期の特色がみられ平成十七年高槻市の指定有形文化財に指定されました。

高槻えびす神社

創建 昭和三十一年

 高槻えびすの事の起こりは、約五十五年前初代高槻市長故磯村弥右ヱ門氏を囲み故中川市太郎氏、故

島田清三郎氏、故入江籐五郎氏等らの発案で市の発展の一策として戎神社を創建し、街の賑わいを招いてはどうかとの提案がありました。これがきっかけとなり各発起人を募り、当時野見神社総代会長であった故田中忠三郎氏(元高槻町長)に相談。また元当神社の社家であった故藪重孝氏より、御社のご寄付を頂き、発足する運びとなりました。そして西宮神社より御分神を賜り高槻戎神社として御鎮座致しました。その後年々参拝者が多くなり昭和四十一年には現在の立派な社殿が出来ました。えびす祭は例年盛大に行われ、高槻中の企業や店舗の商売繁盛、市民の家内安全を祈願されています。本殿では神楽の奉納があり、境内では吉兆、福笹の授与を始め、甘酒無料配布や福引きなど益々賑わいも増しております。

護国神社

 高槻地区において、西南の役より日清、日露戦争、太平洋

戦争に至るまでの戦没者を祀る神社。例祭は五月第三日曜日

四社明神

 四社明神は野見神社境内の北西に位置し、福神社、稲荷神社、磐神社、祖霊社の四社からなる。牛頭天社の時代より末社としてそれぞれ御社がありましたが大正時代に四社明神として一つの御社にしたようです。

 福神社の祭神は志那都比古神、志那都姫神、火産霊、金山比古神、金山姫神、埴山比古神、弥都波能売神(風、火、鋼、土、水の神)である。寛政九年八月に城主永井直進により創建。

 稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、五穀をはじめとして全ての食物をつかさどる。寛政十一年二月に城主永井直進により創建。

 磐神社は八衢比古神、八衢姫神、久那斗神をお祀りしており種々の邪霊・禍災の祓い清める。元文四年五月永井流之助により創建。

 祖霊社は歴代宮司、神官、特に神社にご尽力いただいた人々をお祀りしている。明治十一年に創建

小島神社 

 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)大己貴命(オホナムチノミコト)磐長姫命(イワナガヒメノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の四柱をお祀りしております。

 創建不詳、大昔に干ばつがあり、民衆が困っているところに神様のお言葉がありその地に湧き出ている清水を使ったところ田畑は実り、民衆は大喜びしたとされている。その後その場所に社殿を建てたという言い伝えがあります。またその他の伝説では粂治山付近瀧ヶ淵に大蛇が住みついており龍神として祀った起源であるともされております。粂治山はもともと高槻城の築城前の小さな山であり小島神社は当初現在の出丸町あたりにあったのではないかと推測されます。元和年間に松平紀伊守家信が堀の中に社祠を建てて奉祀したとされています。明治四十一年に陸軍に社領を献納し、野見神社の境内に遷座いたしました。また大正三年には真上村山辻の春日神社を合祀し現在に至ります。例祭は十月二週目の日曜日に執り行われ式典終了後湯神楽を奉納します。

野見神社

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